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『うみねこEP3』コミケ74特典小冊子の内容
今回の記事はコミケ74にて頒布された特典小冊子の内容となります。

うみねこWikiの方でも公開されたので、当ブログでも載せることにしました。

『欲しかったけど手に入らなかった!』という方は是非ご覧になってください。

なお、この小冊子の内容はEP3を終了した方を対象として作成されていますので、
なるべく本編をプレイした後に見ることをお勧めいたします。

ただ、終えていない方も前文だけは読んでみてもいいかも知れません。
この忠告の意味がよく分かるかと思います。ww

それでは、見たい方は続きからどうぞ!




■この小冊子は、『うみねこのなく頃に』エピソード3をクリアされた方を前提にしています。

◆前文

先に読んでもよくわからないだけです。
どうかぜひ、エピソード3を終えてからお読み下さい。

読んでもいいけど、どうせ意味、わかんないわよ…?
まぁ、エピソードを終えてから読んでも、どうせわからないと思うけど。
くすくすくす。

◆ベルンの手紙

親愛なる友へ。

お元気ですか、というお約束的な挨拶は、今の貴方にはきっと皮肉。
だからこう聞く方がきっと親切。
まだ生きてる?親愛なる友よ。

先日はお返事をありがとう。

まさか貴方に、未だ筆を取るだけの気力が残っていたとは驚きです。
まぁ、返事を書くように促したのは私なのだけれど。
それでも貴方が、私の為に筆を取るだけの気力を奮い起こしてくれたこと自邸がとても驚き。
あるいは奇跡。

そして貴重なる助言をありがとう。
私も貴方の意見に同感。多分、黒幕はラムダデルタ。
あの子は私に復讐するためだけに、私ともっとも相性の悪い魔女を見つけ出し、
私が誘き出されてくるのを待っていたのでしょう。
まんまとあいつの罠にはまったわけです。
…なるほど。それが可笑しくて貴方は筆を取ったのかしら。
貴方の意地悪な笑い顔が、手に取るようにわかるわ。

ただ、貴方の病気を考えると、私にとって彼女は貴重な存在かもしれない。
彼女が私よりもはるかに高位の魔女であるならば、
つまりそれは、それだけあなたの病気に近いということ。
つまりそれこそが、貴方を、いえ、私たちを蝕む病気から逃れる唯一の方法であり、
彼女はそれを実践しているということ。
…そして皮肉にも、彼女はそれを私に教えてくれているということ。
まぁ、どうでもいいことかもね。でも、あの子の茶番に付き合うことで、
貴方の病気が少しでも快方に向かうのならば。
どうかぜひ、私に力を貸してほしいの。

ラムダデルタは、このゲーム盤に私は“絶対”に勝てないと豪語している。
その時点で逆説的にルールXは判明しているの。本当に馬鹿な子ね。
つまり、物語が常に6月20日から始まるようなもの。
恐らくこれが、ベアトリーチェなる魔女の心臓部でしょう。

なるほど、だとするとこのベアトリーチェという魔女は確かに面白い。
私もあの子も、そして貴方も知らなかった世界を、彼女は切り拓いている。
それを魔法の根源とするルールY。
ラムダデルタも少し触れたようだけど、彼女の域には到底及んでいない。
もしこれこそを魔法と呼ぶならば、ベアトリーチェを除き、
私たちは誰一人魔女などと名乗れないに違いないわ。
その意味において、自らの魔法体系を組み上げた彼女は、
魔女としては初心の部類に入りながらも、その域は魔女をすでに凌駕して、
…貴方の域にまで踏み込み掛けていると言えるかもしれない。
もし彼女がそれを強く意識し、理解したならば。
私は愚か、ラムダデルタさえも足元には及ばない。
……そして多分きっと、貴方と同じ病に冒されることでしょう。
しかしそれにしても、実に面白い。
このルールYこそが、魔女ベアトリーチェの存在そのものではないかと見ているの。

そう。ここまでは私も解析できた。
そしてもう一つ、ルールZがあるのは間違いないの。
だってルールXとYだけでは説明できない現象が余りに多数、観測されているから。

ルールZの正体は不明。
ラムダデルタの言動から探るに、
どうもこの要素が私にとって致命的に相性が悪いものの様子。
“それ”がヒントなのだとしたら、……いったい何なのかしら。

私は取り合えずこのルールZを、真相から煙に巻く、迷路的な存在だと仮定してみた。
つまり、ルールXとYに私を近付けまいとする迷路ね。
私の力は、百年を掛けて迷路の全ての分岐を確かめて地図を書き上げるのに似ている。
つまり、どんなに複雑な迷路であろうとも、いつかは必ず攻略できるということ。
(ちなみにラムダデルタの場合だと、出口に辿り着くまで、
千年を掛けようとも右壁に沿って歩き続けるようなものなのかしら。
いいえ、出口まで一直線に一切回り道をせず、
全ての壁に穴を開けて通り抜けていくような感じね)

そんな私と“相性の悪い迷路”とは一体何…?
考え付くのはひとつしかない。
つまり、……地図を書いていくことが意味のない迷路。
例えば、ぐにゃぐにゃと常に形を変える不定形の迷路とでも言えばいいのか。
なるほど、この概念なら、ラムダデルタの言うジャンケンでも説明できるかもしれない。
…私の力でも攻略できない迷路でも、壁を貫いてゴールに向かえる彼女には
まったく障害ではないわけだし。

……概念では理解できるの。でもルールとして捉えようとすると、全く理解ができない。
だってルールとは本来、不変なものでしょう?
不定形なるものがルールであるなんて、私の知る常識を超えている。
固体でなければならないのに、液体である一面を持つなんて。……まるで水銀ね。
水銀はラテン語で“生きた銀”。 そして不老不死に通じると信じられ、
錬金術師たちの研究対象として珍重された。
皮肉ね。つまりはまさに、彼女の自称する魔女や錬金術につながるということ。
このルールZが解けない限り、……いいえ、解けないからこそ、
ベアトリーチェはまさに魔女であるということ。

……あぁ、ここまで書いていて腹立たしくなっていったわ。
あなたはここまでを読んで、絶対に笑っているわ。えぇ、賭けてもいい。
そろそろ私の困り顔を見て、さらに嘲笑ってやりたくなってきたころでしょう。

近いうちに貴方のところへお見舞いに行くわ。
見舞いの品は私。好きなだけ嘲り笑うといい。好きでしょう?そういうのは。
だから久し振りの友人を迎える為に、どうか生き返ってちょうだい。

        

まだ親愛であると信じている貴方の友人   ベルンカステルより



◆アンチミステリーとアンチファンタジーについて
                                   竜騎士07
 
今回のEP3では、裏ジャケットのキャッチコピーであった“推理は可能か不可能か”
を新しく“アンチミステリーvsアンチファンタジー”に変えてみました。

今回のEP3を終えられた方は既にお判りだと思いますが、
『うみねこのなく頃に』の世界観は、まさにこのキャッチコピーの通りです。

さて、ミステリーやファンタジーならばよくお聞きもする単語でしょうが、
アンチミステリー、アンチファンタジーになると、余りお耳にされる機会もないと思います。
 アンチとはどのような概念なのか。それをここに駄文にて書き連ねたいと思います。

アンチファンタジーについては、特に語ることもないでしょう。
私たちの住まうこの世界には、ファンタジーなど有り得ません。
どんな空想のおとぎ話も所詮は創作。実在が信じられたとしても、
それは何かの誇張か、政治的な作話に過ぎません。
まさかあなたは本気で、地球が創造主によって7日で作られたと信じているわけですか?
イザナギノミコトが矛でついて日本列島を生み出したと本気で…?
そんなの、ビッグバンと隕石と隕石の結合、
そしてプレートの干渉による陸地の隆起で説明できるに決まっているじゃありませんか。

日本史や世界史の授業中に、堂々とそうだと主張できる方は、
ようこそ初めまして“アンチファンタジー”の世界へ。
信じちゃいないけど、空気は読める方なので、表向きは信じてるフリをしている方々も、
どうぞいらっしゃいませ“アンチファンタジー”の世界へ。

魔女も魔法もあるわけがない。全ては推理で真実を暴きだせる。
そう信じる方がほとんどのはずです。
“アンチファンタジー” 。つまりそれは、私たちの基本フォーマットであり、常識なのです。

そんなあなたたちは『うみねこのなく頃に』で屈服することはあり得ますまい。
だって、魔女も魔法もあるわけ、ないのですから。

そんな至極当然の“アンチファンタジー”の説明はこれくらいにして、
いよいよ“アンチミステリー”について、お話を始めましょう。

まず、アンチミステリーを語る前に、ミステリーについて語らなければなりません。
ミステリーとは何ぞや、を語るには、このような薄い冊子ではとてもページが足りません。
ですので、ここでは非常にシンプルに話を進めたいと思います。

基本的に“ミステリー”と語った場合、これは“本格ミステリー”のことを指します。
乱暴なまでに簡単に説明すれば、本格ミステリーとは、作中で説明された情報によって、
劇中の回答を待たずに読者が政党可能なものを指します。

これこそがミステリーの本流であり、まさに“本格”と冠するに相応しいでしょう。
それは読み物であると同時に、筆者と読者の知恵比べでもあるわけです。
その意味において、本格ミステリーとは、あらゆる小説ジャンルの中で
もっともゲーム性が高いものであることが理解できると思います。

つまり、高度な本格ミステリーとは徹底的に算数的なパズルゲームであるべきなのです。
そしてそれは著名な作家の数々の名作によって、高度に昇華されていったはずでした。
しかし昇華された本格ミステリーは、やがてある問題に行き当たります。
それが有名な難問、『後期クイーン問題』というものです。

「後期クイーン問題」とは非常に簡単に説明すると、探偵(読者)の知り得てる情報が
“全て”であるとの証明が自身には不可能である、というものです。
優れた探偵は、与えられた証拠・ヒント全てをふんだんに使い、
非常に優れた推理や合理的見解を導き出すでしょう。
しかし、その推理が正解であるためにはひとつの前提が必要となります。

それは、探偵が吟味した証拠・ヒントが“全て揃って”いなければならないということです。
多くの場合、探偵は現場を徹底的に吟味し、あらゆる証拠、
ヒントを見つけ出して列挙します。しかしです。
“探偵がいまだ見つけていない決定的な証拠X”の存在を否定することはできません。
つまり、名探偵がどのような優れた名推理を見せたとしても、
それは“その時点での証拠・ヒントからの構築”に過ぎません。
つまり、もしも未発見の決定的な証拠Xが加味されたなら、
探偵が導き出した推理が根底から引っ繰り返る可能性が常に否定できないのです。

つまり探偵は、数々の証拠から推理を捻出することに加え、
“未発見の証拠が存在しない”ことを立証する義務が生じたのです。
そして言うまでもなく、これを証明することはまさに“悪魔の証明”。
……つまり、探偵には自らの推理が正しいことを証明できないことが
発覚してしまったわけです。
徹底的に合理的なパズルであるべき本格ミステリーはこの時、にもかかわらず、
回答を合理的に示すことが出来ないというジレンマに陥ったのです。

作中でいくら“マスターキーは一本”と説明したところで、
マスターキーの複製がある可能性を否定できません。
仮にそれが不可能であることを説明したとしても、
“その人物の与り知れないところで複製が作られていた可能性”は常に否定できません。
複製不能な形状であると説明したところで、
“それでもなお複製する未知の技術”の存在を否定することには至りません。

第一発見者がウソをついているかもしれないし、
警察の鑑識結果が誤っているかもしれない。
あるいは犯人に買収されていて、あるいは探偵を誤推理に誘導するために
何かを偽装しているのかも…。
それら、全ての“想定外の可能性を”完全否定しきらなければ、
問題の提示にすら至れなくなってしまったのです。
しかし、言うまでもなくそれは不可能です。

究極にまで言ってしまえば、仮に探偵(読者)が、
非常に合理的な推理に辿り着き、
それを犯人が認めて降参したシーンがあったとしても。
……未発見の致命的証拠Xが残っており、
さらに、真犯人を庇う為に共犯者がウソの告白をして
罪を被っている可能性を否定できないのです。

実際、 『ひぐらしのなく頃に』の「綿流し編」でも、
このジレンマをモチーフにしている箇所があります。
実際、 「目明し編」を発表するまで、「綿流し編」の犯人を
ほぼ全ての読者が誤解していたはずです。
なぜなら「綿流し編」単体では、レナの推理を犯人が認めたと描かれているのですから、
その推理は“完結”しています。
つまり、○○が犯人で“その時点での推理は正しい”のです。

にもかかわらず「目明し編」では、
「綿流し編」の時点で知りえない数々の新情報が明かされ、
その結果、別の人物が本当の犯人であったことが明かされます。
「目明し編」までを終えた読者には納得のいく答えでしょうが、
「綿流し編の」時点ではそれは推理不可能です。
しかしだからといって「綿流し編」の時点での推理構築は“誤りではない”。
誤った犯人に至ったとしても、その推理は“その時点”では正しいのです。
その時点で存在する材料を全て構築して至った“本格的な”答えなのだから。
でも、紛れもなく。「綿流し編」での段階での犯人特定は間違えているのです。

これこそが「後期クイーン問題」です。
そして読者は目明し編を読み終え、一定の解答を得て、
ある程度の納得はできたはずなのです。
しかしそれでもなお。
「目明し編」を終えてなお、それが正しい真相であるという保障はないのです。
「後期クイーン問題」がある限り。
 極端な暴論の一例ですが、後年に竜騎士07が『ひぐらしのなく頃に真』なる
真相解明編を執筆し、「綿流し編」 「目明し編」の真相は偽装で、
実は犯人は意外な人物○○だった!
 と“未知の新情報を後付けで追加” して発表したならば、
それは正しい真相として“上書きされ” 、「目明し編」の真相すら、
捻じ曲がり得るのだ、ということになります。
(恐ろしいことに、このアンフェアすらも、「綿流し編」 「目明し編」 「真相解明編」
の3つを1つの作品として見なした場合、フェアであることになります。
どのような後付け情報であったとしても、それが後付けであるか否かは証明不能です。
そして「後期クイーン問題」がある限り、
新情報がいくら後付けされたとしても許されるのです。
未発見情報の存在は否定不能なのですから。)

言い訳っぽく書きますが、もちろん「綿流し編」と「目明し編」は
表裏一体のシナリオです。後付け設定は一切ありません。
……もっとも私がそれをここで語ったところでその真偽は証明不能なわけですが。

つまり何が言いたいのかというと、どんな解答も、
筆者(神)による真相(神託)でさえも!それは絶対ではないということ。
筆者という作品中の最高神でさえ、未来の自分という、
より上層のメタ存在によって、いくらでも真相は改竄され得るのです。
つまり、非常に乱暴な極論ですが、 「後期クイーン問題」を語る限り、
ミステリーはパズルたり得ないというジレンマに陥るのです。

ミステリーがミステリーとして高潔であろうとした結果、
自らの存在を否定するに至ったことの何と皮肉か…。

これは私が皮肉な意味を込めて“アンチミステリー”と呼んでいます。

◆メタルールについて

“悪魔の証明”がある限り、私たちも探偵も、常に未発見の証拠Xを否定できません。
“悪魔の証明”を破らない限り、私たちは推理に挑む資格すら、得られないのです。
目の前で人が死に、密室が構築され、不振な証拠品が転がっているにもかかわらず、
私たちは推理を始めることができないのです。

犯行現場の調査よりも、証拠の吟味よりも、第一発見所の証言よりも!
私たちはまず最初に“それ”を確認しなければならない。
“それ”はつまり、……“今この場にある全ての証拠で推理が可能か否か”!
歴史的名探偵が犯行現場で天を見上げ、全能の神(筆者)に、まず問いかけるのです。

「この世界(作品)は、本格ミステリー(推理可能)ですか?!」

すると神様はこう答えます。

「ええ、この作品は本格ミステリーですよ。だから絶対に貴方にも解けると、
安心して推理をしてください。」

そして探偵は、あぁ良かった、なら安心して推理に挑戦できると胸を撫で下ろし、
ようやく犯行現場の調査を始めるのです。
現実の殺人事件でも、きっとこういう光景なんでしょうね。
警察が現場周辺を封鎖しマスコミを遠ざけた後、
刑事たちが拍手を打って天を仰ぐのです。

「あぁ、神様! この事件は解決可能でしょうか?!
それを教えてもらわなければ、私たちは捜査も推理もできません…!! 
だって変格ミステリーや社会派ミステリーだったなら、
ましてや今流行の伝記ファンタジーだったなら推理しても無駄なわけですし!」

しかし、現実問題として。 神様がそれに答えることはありません。
すると、神託があるまで拍手は続くのでしょうか? 神託がなければ捜査は打ち切りに?

この状況を思い浮かべ、あぁなんと間抜けなのか馬鹿馬鹿しいッ!!と滑稽に思った時、
私は初めて、“アンチミステリー”という概念がありえることを知りました。
全ての謎に算数的解答を合理的に求めようとするニンゲンたち。
それは一見とても知的に見えますが、実はそれは大きな誤り。
“その謎が、合理的に回答が得られるものであるという前提がない限り”、
ニンゲンたちは謎に挑むことすらかなわないのです。
そしてそんな前提が与えられることは絶対にない。

つまり、ニンゲンは知的を威張り散らし、ミステリーを推理できる豪語しながら、
実際は神様からのお墨付きがなければ、
「灰色の脳細胞」 の一欠けらも使うことは出来ない
無知無能無教養の脳ナシ思考ナシ考えナシ。
ゾウリムシと同じ程度の知性しかないわけです。

『うみねこのなく頃に』の中でベアトリーチェが嘲笑っているのは、まさにそのこと。
全てに算数的解答を求めようと意気込みながら、
そのくせ、それが可能であることを保障されなければ挑戦も出来ない。
ボクシングなどに例えたなら、
勝てると保証された相手以外とは戦いたくないと言っているボクサーのようなものです。
魔女ベアトリーチェには、魔女を否定すると意気込み、
合理的に真実を暴こうと意気込むニンゲンたちが、こんなにも滑稽に見えるのです。

あなたは、『うみねこのなく頃に』のEP1を終えたとき、本当に推理に挑戦できましたか?
本格か否かの宣言がないからと、挑戦を渋ったのではありませんか?
全ての証拠が提示されているという証明がないからと、挑戦を渋ったのではありませんか?

………くっくっくっく!! ばァか。そんな証明、
貴様らの人生のいつどこにあったというのか?
貴様らは高校受験の時、神様に、ここを受験して受かりますか?と聞いて、
受かると神託を受けなければ受験も出来ないのかァ?
くっひっひゃっははははははは…!
ママが、ボクちゃんならきっと受かるわよ!と言ってくれなきゃ、
受験も出来なかったって言うのかよォぉおお?? くっひっひひひひひひひひ!

ニンゲンの語るミステリーが何と下らないものなのかと理解できたそなた。
そして妾の笑いたい気持ちが理解できたそなたはようこそ“アンチミステリー”の世界へ。
「この世には科学では説明できないことが多々ある」ってよく言うだろォ? 
そういうことなんだよ。この世の全ては完全証明不能! 
常に我々の想定しない未知のXが想定しうる。そしてそれは誰にも否定できない!
推理ぃ? ミステリー? 本格ゥ? あっひゃははははははははははは!! 
ばァかばかしいぃいいぃ!!
ボクちゃんはミステリー文庫で新刊を買ったら、まず先にママに読んでもらうといいさ。
そして「この本はボクにも解ける?」と聞いて、ママが頷いてくれたのだけ読めばいいさ!
ママに咀嚼(そしゃく)してもらった離乳食だけくってりゃあいいんだよゥ、
うっひぇっひゃっひゃっひゃっひゃぁぁぁ!!

──だからお嬢様、そういうのが品がないと申しています。

ベアトリーチェさまが使われる「赤き真実」は、
それに対するひとつのアンチテーゼと申せましょう。
「赤き真実」で語ったことは、まさに神の言葉。
何の証拠も証明もなく、それが真実となる。
赤き真実で、 “扉はマスターキー以外では開錠できない”と言ったならば、
それ以外の想定が一切必要なくなります。
ピッキングでも釣り糸で内側から引っ張るも想定不要です。
さらに重ねて赤にて“マスターキーの個数は5本でそれ以外では開錠不能。
複製は不可能”と続ければ、なお完璧になりましょう。

ただ、あえて最後に一粒、山椒を残していきましょう。
真実であると自称する「赤き真実」が、本当の本当に“真実”であるのかは、
たとえお嬢様であっても証明不可能です。
皆様の中にも、お嬢様の「赤き真実」が、本当に信用できるのかと、
未だに疑っておられる方々もおられるでしょう。

そう。この世に、真実であることが証明できる真実など、存在したりしないのです。
だから、もしもその真実を信じることが出来るかどうかを問うならば、
こういう問いかけになるでしょう。

“貴方は、彼女のことを信じることができますか?”

愛する人を、やがてはあなたも伴侶に迎えるでしょう。
そして約束の日、神父にきっとそう問いかけられるはずですよ。
まさかあなたはその時にも、彼女が口にする真実が真実であると
証明することはできないと仰られるつもりで……? …ぷっくくくくくく。

魔女を否定する為には、魔女とニンゲンの戦うゲームに挑まなければならない。
しかしそれに臨むには、魔女の「赤き真実」が、
確かに真実であることを信じなければならない。
魔女を信じないが為に挑むゲームなのに、
魔女の発言を信じなければならないとは、何と滑稽な矛盾か。

貴方が初めて 「赤き真実」のルールを聞き、それが信用できるのかと聞いた時、
お嬢様はこう仰られましたね。
“妾はそなたとゲームをしている。ゲームのルールは神聖!!
それを軽んじる者に参加の資格はないッ!!”

ぷっくっくっく…!
あなたとお嬢様はつまり、神聖な信頼で結ばれた関係、ということになりますね。
悪魔も妬こうというもの。ぷっくっく…。

この世に真実など何もありません。
この世の一なる元素であると謳われる「愛」すらも、所詮は幻想。ファンタジー。
全てをミステリーで説明し、ファンタジーを否定しようとする人間には、
愛する資格も、愛される資格もないということかもしれませんね。

あなた様は“アンチファンタジー”ですか? “アンチミステリー”ですか?

ほほぅ?都合の良いように、物事によって使い分けている?
それが一番お利口でしょうな。

友人の誇張しすぎた武勇伝にはアンチファタジーを。
分不相応な夢に酔いたい時にはアンチミステリーを。
眠れない夜にはやさしい音色のアンチモニーオルゴールを。

それではおやすみなさいませ、皆様方…。

                                    (おわり)

◆詩
愛とは幻想、勘違い。
相思相愛とは、互いに愛されているという相互の勘違い。
そして婚約とは、その勘違いから生涯目覚めないことの誓いである。
                             
                            ────Ronove

彼の部屋からいろいろなものが見付かった。
それらの証拠から、私はあなたに愛されていると推論できる。

私の部屋からいろいろなものが見付かった。
それらの証拠から、私もあなたを愛していると推論できる。

彼女の部屋から何も見つけられなかった。
しかし未発見の浮気の証拠Xの存在を、私は否定できない。
                             
                   ────Frederica Bernkastel




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以上が今回の小冊子の内容となっております。

後半の竜騎士先生の考えも面白いですが、
本編的に重要なのは、やはりベルンの手紙でしょうね。

ルールについてもヒントとなるようなことが多数書かれており、
これから考察していく上での手助けとなることは間違いないでしょう。

近日中にまた何かしら考察を書く予定なので、よろしくお願いします!

それでは、皆様のご意見・ご感想お待ちしております!
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2008/08/20(Wed) | 考察(EP3終了) | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
コメント
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手紙って誰にあてたものなのか結局わかりませんでした。羽生?とも考えたのですが、あれがベルンを嘲笑うとも思えませんし……。死んでる?
by: 碑文 * 2008/08/23 13:26 * URL [ 編集] | page top↑
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